光の中で女性が男性の肩に両腕を回して今にも口付けをする瞬間

なぜ“セフレ”を選ぶ人が増えているのか:一人にすべてを求めない時代の恋愛心理

2025.11.02

恋人や結婚相手に「安心・性・共感・経済・成長」すべてを求める——。
かつてはそれが、理想のパートナー像だった。
けれど今、多くの人が気づきはじめている。
その”全部を一人に求める”ことの難しさ、そして窮屈さに。

SNSでは「セフレ」という関係をオープンに語る人が増え、
そこにあるのは軽さではなく、むしろ誠実さへの模索かもしれない。
誰かを裏切ることよりも、自分を偽ることの方が苦しいと感じる時代。

「完璧な恋愛」から少し距離をとって、
それぞれの自分を受け入れてくれる関係を選ぶ人たちがいる。
“セフレ”という言葉の裏には、
愛と自由、そして孤独の再定義が静かに進んでいる。

なぜ「一人にすべて」が難しくなったのか

ひと昔前、恋愛や結婚には明確な「役割」があった。

男性は経済的安定を、女性は家庭の安心を。お互いが欠けたピースを埋め合うように、二人で「完全な何か」を作り上げる。それが、幸せな関係のモデルだった。

けれど今、私たちは気づいている。一人の人間が、もう一人の人間のすべてを満たすことなど、できないということに。
仕事の悩みを理解してほしい相手と、性的な魅力を感じる相手は、同じではないかもしれない。
一緒にいて安心できる人と、刺激をくれる人は、別の人かもしれない。
結婚を考えられる相手と、今この瞬間欲しい相手は、違うかもしれない。

それなのに、私たちは長い間「恋人なら全部を満たしてくれるはず」「結婚相手はすべてを兼ね備えているべき」と信じてきた。
そのズレに、息苦しさを感じている人が増えているのではないだろうか。

SNSを開けば、誰かの「完璧な恋愛」が目に入る。ディナーデート、旅行、記念日のサプライズ。まるで映画のワンシーンのような投稿の数々。

でも、その裏にある「合わせること」「期待に応えること」の疲弊は、見えない。
完璧な恋愛を演じることに疲れた人たちが、もっとシンプルで、もっと正直な関係を求め始めている。その選択肢の一つが、「セフレ」なのかもしれない。

セフレという関係が持つ”正直さ”

「セフレ」という言葉には、どこか後ろめたさがつきまとう。

不誠実、遊び、体だけの関係——。そんなネガティブなイメージを持つ人も多いだろう。

けれど、ある視点から見れば、セフレという関係は「恋人」よりもずっと正直かもしれない。

恋人という関係には、見えないプレッシャーがある。

「毎日連絡しなきゃ」「記念日は祝わなきゃ」「将来のことを考えなきゃ」「相手の家族とも仲良くしなきゃ」——。

それらの「しなきゃ」に縛られて、本当の自分を見失っていないだろうか。相手を好きだから一緒にいるのか、それとも「恋人だから」という役割を演じているだけなのか、わからなくなることはないだろうか。

セフレという関係には、そうした役割期待が少ない。

お互いに「性的な魅力」という一点で繋がっている。それ以上でも、それ以下でもない。将来を約束する必要もないし、相手の人生に深く関与する責任もない。

「今、あなたと過ごしたい」
「今、あなたの体が欲しい」
その瞬間の欲望に、嘘がない。

もちろん、これは一つの見方に過ぎない。セフレという関係にも、曖昧さゆえの傷つきや、期待と現実のズレはある。

けれど少なくとも、「恋人なのにセックスレス」「結婚してるのに満たされない」といった、役割と欲望のねじれに苦しむよりは、正直なのかもしれない。

人間関係のポートフォリオ化

セフレという選択の背景には、もっと大きな変化がある。

それは、人間関係の「ポートフォリオ化」だ。

かつて、人は一人の相手にすべてを求めた。恋愛も、性も、共感も、経済も、成長も——すべてを一つの関係の中で完結させようとした。

けれど今、多くの人が気づいている。それぞれのニーズを、それぞれの関係で満たしていいのだと。

  • 仕事の悩みは、同じ業界の友人と話す
  • 日常の愚痴は、昔からの親友に聞いてもらう
  • 性的な欲求は、お互いに割り切れる相手と満たす
  • 将来を考える相手とは、ゆっくり時間をかけて関係を深める

一人の人間が、すべてを担う必要はない。むしろ、それぞれの関係に役割を分散させることで、どの関係にも過度な期待や依存をせずに済む。

これは、冷たい計算ではない。むしろ、相手にも自分にも優しい選択かもしれない。
「あなたにすべてを求めないから、あなたもすべてを背負わなくていい」
そんな関係性の在り方が、少しずつ受け入れられ始めている。
ただし、この選択には代償もある。それは、孤独だ。

すべてを共有する唯一無二の存在がいない、という寂しさ。誰にも自分のすべてを見せていない、という虚しさ。

人間関係を分散させることで得られる自由と、失われる深い繋がり。そのバランスを、私たちはまだ模索している。

それでも残る葛藤

セフレという関係を選んだからといって、すべてが解決するわけではない。

心の奥底では、こんな問いが渦巻いているかもしれない。

「本当にこれで満たされているのだろうか?」
「誰かと深く繋がりたい欲求を、見て見ぬふりしているだけではないか?」
「自由を得たつもりで、実は逃げているだけではないか?」

そして、社会の目もまだ優しくはない。

「セフレなんて、遊びでしょ」
「真剣な恋愛から逃げてるだけ」
「そんな関係、いつか後悔するよ」
そんな声に、傷ついたり、自分を疑ったりすることもあるだろう。

さらに複雑なのは、セフレから始まって「本当の恋」に発展することもある、という事実だ。
最初は体だけの関係だったはずが、気づけば相手のことを深く知りたくなり、一緒にいる時間が愛おしくなる。
「セフレのままでいい」と思っていたのに、いつの間にか「もっと特別な関係になりたい」と願っている自分に気づく。
この矛盾が、さらに心を揺さぶる。

セフレという関係は、自由で正直である一方で、いつでも変化する可能性を秘めている。その不安定さが、苦しくもあり、魅力的でもある。

これからの「愛」のかたち

結局のところ、セフレという関係が「正しい」のか「間違っている」のか、答えはない。

ただ一つ言えるのは、私たちは今、愛の新しいかたちを模索しているということだ。

「恋人」「結婚」という枠組みだけが幸せの形ではないと、気づき始めた人たちがいる。

一人にすべてを求めず、それぞれの関係にそれぞれの役割を持たせる。その選択を、勇気を持って選ぶ人たちがいる。

セフレという関係は、その選択肢の一つに過ぎない。

大切なのは、自分の欲望に正直であること、そして相手を尊重すること

「こうあるべき」という呪縛から自由になって、「自分はどう生きたいのか」を問い続けること。

それは簡単なことではない。葛藤も、孤独も、罪悪感も、きっと消えない。

でも、自分を偽って「理想の恋愛」を演じ続けることよりは、ずっと誠実なのかもしれない。

あなたは、どう生きたいですか?

一人にすべてを求める恋愛。
それぞれの関係にそれぞれの意味を見出す生き方。

どちらが正しいわけでも、間違っているわけでもない。

ただ、この時代を生きる私たちには、選択肢がある。そして、選ぶ自由がある。

セフレという関係を選ぶ人が増えているのは、軽薄だからではない。
むしろ、自分の欲望や限界に誠実であろうとする、一つの試みなのかもしれない。

あなたは、どんな関係を求めていますか?
一人の相手にすべてを託したいですか?
それとも、それぞれの関係から、それぞれの豊かさを受け取りたいですか?

答えは、あなたの中にしかありません。
なぜなら、あなたが選んだ答えの「答え合わせ」ができるのは、あなただけだから。

誰かの価値観でも、社会の常識でもなく、あなた自身の人生を生きた先にしか、その答えは見えてこない。

この記事を書いた人

編集部ライター マホサムネイル

編集部ライター マホ

WEBライター。“自分らしく生きる”をテーマに、性・恋愛・メンタルヘルスを中心に記事を執筆。自分の言葉で丁寧に表現することを大切にしています。

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