「Aくんといると安心する。
でも、Bくんといるとドキドキする——」
どちらも大切に思う。
どちらかを選ぶなんて、今はできない。
欲張り? 浮気性?
それとも、ただ“正直”なだけ?
恋愛に「正解」がないのだとしたら、
私たちは、どんな気持ちに従えばいいんだろう。
「好き」が、ふたつ重なったとき
Aくんとデートを重ねている。
穏やかで、心地よい時間。会話も弾むし、一緒にいると安心できる。
きっと、このまま関係を深めていけるだろう。
そんなある日、Bくんと出会う。
たまたま話す機会があって、気づけば何度も思い出してしまう。
もっと知りたい、もう一度会ってみたい。
そんな気持ちが、自然と湧いてくる。
正直に言えば、どちらも素敵。
どちらかを選ぶなんて、まだできない。
このままふたりと会い続けてみたいと思うことは、
わがままなんだろうか。
それとも、自分の気持ちに正直でいるということなんだろうか。
そのとき、あなたならどうする?
欲求はワガママ?それとも、正直さ?
「ふたりと会いたい」と思ってしまう自分を、責めたくなる瞬間がある。
こんな気持ちはおかしいんじゃないか、誠実さに欠けるんじゃないか。
そんな声が、心の奥から聞こえてくる。
けれど、それは本当に“悪いこと”なんだろうか。
ふたりの人を同時に素敵だと思う気持ちに、善悪のジャッジは必要なのだろうか。
人はときに、複数の欲求を同時に抱える。
安心したい気持ちと、刺激を求める気持ち。
安定を望む心と、新しさに惹かれる感覚。
そのすべてが、人間の自然な感情だ。
欲求は、必ずしも行動に移すべきものではないかもしれない。
でも、そこに気づくことで、自分の内面を丁寧に見つめ直すことができる。
「この欲求の奥にある、本当の願いはなんだろう?」
たとえばそれは、「もっと愛されたい」という渇望かもしれないし、
「自分のままでいたい」という自己肯定への希求かもしれない。
誰かを選ぶ前に、自分の気持ちに問いかけてみる。
いま本当に欲しいものは、何だろう。
“誠実”って、なんだろう?
誰かと向き合うとき、「誠実でいたい」と願う人は多い。
嘘をつきたくない。裏切りたくない。相手を大切にしたい。
その気持ちは、とてもまっすぐで優しいものだ。
けれど、ときに“誠実さ”が、自分自身を縛ってしまうこともある。
誰かひとりだけを選ぶことが誠実だと思って、
もうひとりに惹かれる気持ちを見ないふりをする。
そのほうが、むしろ嘘に近いのかもしれない。
正直に言えば、両方に心が動いている。
その事実に気づいているのに、それをなかったことにする。
それでも、自分は誠実でいられるのだろうか。
もし、“誠実”という言葉の意味が、
「相手に嘘をつかないこと」だけではなく、
「自分の気持ちにも嘘をつかないこと」だったとしたら——
“正直であること”と“誰かを傷つけないこと”は、
ときに両立が難しい。
それでも、そのあいだで揺れながら、
どう向き合うかを考えること自体が、
ひとつの誠実さなのかもしれない。
恋愛の「型」からはみ出してみたら
「ひとりの人だけを愛することが正しい」
そう信じてきた人は多い。
恋愛は“ふたり”で築くもの。
どこかでそう教えられたような気がする。
けれど、その“型”からはみ出す感情に出会ったとき、
人はどうすればいいのだろう。
たとえば、「ポリアモリー」という考え方がある。
複数の人と恋愛関係を築くスタイルのひとつで、
秘密ではなく、お互いの合意と理解を前提にした関係性だ。
誰かを傷つけたいわけではない。
ただ、ひとりに絞りきれない感情が、たしかに存在する。
そんなときに、自分を責めるだけではなく、
今まで知らなかった“選択肢”に触れてみることも、ひとつの手がかりになるかもしれない。
もちろん、ポリアモリーという形が正解とは限らない。
大切なのは、「こんな考え方もある」と知ったうえで、
自分にとって心地よい関係とは何かを探っていくこと。
誰かに合わせるのではなく、
自分のペースで、自分の輪郭に合った愛し方を見つけていく。
「愛し方」は、誰が決める?
誰かに恋をしたとき、
「どうやって愛すべきか」を、
無意識のうちに誰かの価値観に委ねてしまうことがある。
ひとりを選ばなきゃいけない。
誠実さとはそういうもの。
“ちゃんとした大人”なら、迷わないはず。
そんなふうに思うことで、
心の奥で湧いてくる本音を見ないふりをしてしまう。
でも、愛し方に「これが正しい」という答えはあるのだろうか。
それとも、答えがあると思い込もうとすることで、
安心したかっただけなのかもしれない。
大切なのは、
誰かの基準ではなく、“自分にとっての心の平穏”に耳をすますこと。
ときにそれは、選びきれない感情をそのまま受け止めることかもしれないし、
あるいは、「選ばない」ことを選ぶ勇気かもしれない。
「私は、どう愛したいのか」
その問いの先にしか、自分にとっての正解は見えてこない。
まとめ:問いは、自由の入り口
「どの選択が正しいのか」
「どうするのが正解なのか」
そんな問いを抱えながら、心が揺れるのは、決して弱さではない。
むしろ、そこには自分の気持ちを丁寧に扱おうとする姿勢がある。
答えを急がずに、その揺らぎの中にとどまってみる。
それだけで、すでに自分との対話が始まっている。
欲求に気づくこと。
葛藤に目をそらさずにいること。
“どうしたいか”を、何度でも自分に問いかけてみること。
それは、「自分にとっての幸せ」を誰かに委ねずに、
自分の手に取り戻すことでもある。
誰かが決めたルールではなく、
誰かの“正しさ”でもなく、
“自分が選んだ”という感覚こそが、
私たちを自由にしてくれる。
だからもし今、選べないでいるなら、
まずは問いから始めてみればいい。
その問いが、あなたらしい愛し方を探す旅のはじまりになるから。
あなたは今、どんな気持ちに従ってみたいですか?