「お金はないけど、真心はある。」
「お金はあるけど、どこか不安が多い。」
どちらを選ぶべきなのか——。
この問いは、パートナー選びというより、生き方の選択に近いものかもしれません。
友達との会話で盛り上がり、夜ひとりになったときにふと考え込んでしまう。愛があれば乗り越えられるのか、それとも現実はそんなに甘くないのか。どちらにも魅力があり、どちらにも不安があるからこそ、簡単に答えは出ません。
きれいごとでは済ませたくない。
でも、気持ちも大切にしたい。
この記事では、「どちらが正しいか」を決めるのではなく、この問いを少しだけ整理してみます。
どちらにも、ちゃんと理由がある
「お金はないけど、真心はある。」
「お金はあるけど、どこか不安が多い。」
この二択は、単なる恋愛相談のようでいて、実はかなり重たい問いです。
どちらを選ぶかによって、これからの生活の景色が変わる気がするからです。
まず、はっきりさせておきたいのは、どちらを選びたくなる気持ちにも、ちゃんと理由があるということです。
お金はないけれど真心はある彼。
優しくて、誠実で、自分を大切にしてくれる。浮気の心配も少なく、一緒にいると安心できる。将来が不透明でも、「この人となら乗り越えられるかもしれない」と思わせてくれる存在です。
一方で、お金はあるけれど不安が多い彼。
経済的な余裕があり、生活の基盤は安定している。子どもを持つ、家を買う、旅行をする。そうした具体的な未来を描きやすい。でも、女遊びの気配や情緒の揺れなど、どこか心をざわつかせる要素もある。
どちらにも、魅力がある。
そしてどちらにも、怖さがある。
この問いが簡単に答えを出せないのは、どちらの選択にも「失うもの」と「得られるもの」があるからです。
「金がある」とは、いくらのことか
ここで一度、少し冷静になってみましょう。
「お金がある」とは、いったいどの水準のことを指しているのでしょうか。
年収300万円では不安を感じるかもしれません。
では600万円ならどうでしょう。
1000万円以上あれば安心できるのでしょうか。
さらに言えば、住んでいる地域、共働きかどうか、子どもを持つかどうかによって、その金額の意味は大きく変わります。
東京で子ども二人を私立に通わせる生活と、地方で共働きを前提に暮らす生活では、「安心できる年収」は違って当然です。
それなのに、「お金がある人」と一括りにしてしまうと、思考は雑になります。
本当は、
・自分はどのくらいの生活水準を望んでいるのか
・どのくらいの余裕があれば、心穏やかに暮らせるのか
ここを具体的に考えなければいけないはずです。
「お金があるかないか」ではなく、
「どの水準なら、自分は安心できるのか」。
問いを少し変えるだけで、景色は変わります。
「真心がある」とは、どのレベルか
同じことが、「愛」にも言えます。
「真心がある」とは、具体的に何を指しているのでしょうか。
優しいこと。
浮気しないこと。
嘘をつかないこと。
困ったときに支えてくれること。
家事や育児を分担する覚悟があること。
どこまでを含めて「真心」と呼んでいるのか、人によって違います。
優しいけれど、向上心がない。
誠実だけれど、経済力は伸びない。
愛情はあるけれど、将来の計画は曖昧。
それでも「真心がある」と言えるのかどうか。
愛もまた、白黒ではありません。
「あるか、ないか」ではなく、
「どのレベルなら、自分は消耗しないか」。
浮気は絶対に許せない。
でも愛情表現が少ないのは許せる。
あるいはその逆。
自分がどこで傷つき、どこなら受け流せるのか。
そこを見ないまま「愛がある人」とまとめてしまうと、現実とのズレが生まれます。
「最低」ラインと「理想」を混同していないか
ここで、もう一つ整理しておきたいことがあります。
それは、「最低ライン」と「理想」を混同していないか、ということです。
例えば、
・年収は最低でも1000万円
・家事育児も完璧に分担
・浮気は当然ゼロ
・お金も信頼も両方完璧
これらは理想としては素敵です。
でも、それをそのまま「最低ライン」にしてしまうと、選択肢は一気に狭まります。
逆に、
・生活が回ればいい
・浮気さえしなければいい
と最低ラインを極端に下げすぎると、今度は自分が消耗する可能性が高まります。
大切なのは、
理想は理想として持ちながら、
最低限ここは譲れない、というラインを自覚することです。
「愛か金か」という二択に見えている問いは、実は、
・お金の最低ラインはどこか
・愛の最低ラインはどこか
この二つを整理する作業なのかもしれません。
「どっち?」ではなく、「どれぐらい?」で考えてみよう
「お金はないけど真心はある彼」と
「お金はあるけど不安が多い彼」。
どちらを選ぶべきか、と問われると、人は白黒で考えようとします。
でも人生は、二択ではありません。
グラデーションの中で、調整しながら進んでいくものです。
あなたにとって、
・どのくらいのお金があれば、生活は安定すると感じられるのか
・どのくらいの不安なら、許容できるのか
・どのくらいの愛情があれば、心は満たされるのか
ここが見えていれば、答えは少しだけ具体になります。
誰かの基準ではなく、自分の水準で考えること。
愛を選ぶのも、金を選ぶのも、間違いではありません。
ただ、「どっちが正しいか」と考え続けるよりも、
「自分はどの水準なら、穏やかに生きられるか」
を考えるほうが、ずっと現実的です。
この問いに、唯一の正解はありません。
でも、問い方を変えるだけで、焦りは少しやわらぎます。
白か黒かではなく、
自分にとってちょうどいい“濃さ”を見つけること。
その作業こそが、
このテーマと向き合う意味なのかもしれません。
自分はどんな人間か、も判断材料になる
もう一つ、見落としがちな視点があります。
それは、「自分はどんな性格で、どのくらいの力を持っているのか」ということです。
年齢を重ねるにつれて、自分の能力や限界も、うっすらと見えてきます。
どれくらい稼げそうか。
どれくらい努力を続けられそうか。
どれくらいの不安なら、自分で消化できるか。
お金の不安に強い人もいれば、数字が曖昧なだけで落ち着かなくなる人もいます。
信頼の揺れに敏感に反応してしまう人もいれば、ある程度は受け流せる人もいます。
同じ条件でも、消耗の仕方は人それぞれです。
だからこそ、「どちらが正しいか」ではなく、
・自分は何を補えるのか
・何を補えないのか
を知っておくことが、意外と大切です。
選択は、相手の条件だけで決まるものではありません。
その人といるときの「自分の状態」もまた、判断材料の一つです。
まとめ|愛か金か
愛か金か。
答えを出そうとすると、この問いはどこまでも重くなります。
でも、「どれぐらい?」と考え、「自分はどんな人間か?」と問い直すと、自分の基準が少しずつはっきりしてきます。
私自身は、生活の安定を大切にするタイプです。
経済的な土台があるほうが、心に余白を持って生きられると感じています。
不安がまったくない関係は存在しないとしても、どの不安なら自分は引き受けられるのか。その基準は、年齢や経験とともに、少しずつはっきりしてきました。
だからといって、この選択が正しいと言いたいわけではありません。
愛を最優先にする人もいれば、経済を最優先にする人もいる。
どちらも間違いではなく、それぞれの価値観と自己理解の上にある選択です。
「どちらを選ぶべきか」と焦るよりも、
「自分は何を大切にし、何なら補え、何は補えないのか」を知ること。
白か黒かではなく、自分にとってちょうどいい濃さを選ぶこと。
この問いに向き合う時間そのものが、すでにあなたの未来を、自分に納得できる形へと近づけているのかもしれません。
