先日、「選択的シングルマザーは合理的かもしれない」という若い女性たちの会話を耳にしました。
その言葉を聞いてから、しばらく思索していました。
合理的、という言葉にはどこか冷たい響きがあります。
けれど同時に、今は、離婚率も、ワンオペ育児の現実も、養育費の未払い率も、簡単に調べられる時代です。
結婚という制度のリスクを知った女性たちが、「最初から結婚を前提にしない」という選択を思い浮かべるのは、決して不自然なことではありません。
でも、本当にそれは「合理的」と言えるのでしょうか。
そもそも合理的とは、何を基準にした言葉なのでしょう。
正解が一つではない時代に、私たちはどんな物差しで人生の選択を測ればいいのでしょうか。
今日は、「選択的シングルマザー」というテーマを通して、“合理性”と“納得感”について、一緒に考えてみたいと思います。
「合理的」という言葉の正体
合理的とは、本来「目的に対して無駄がない」ということです。
感情を排除することでも、冷たく振る舞うことでもありません。
では、この場合の目的とは何でしょうか。
結婚することなのか。
子どもを持つことなのか。
安定した家庭を築くことなのか。
それとも、自分の人生に嘘をつかないことなのか。
目的が違えば、合理性の定義も変わります。
かつては「好き→結婚→出産」という一本道が一般的でした。
けれど今は、「好き」「結婚」「出産」が必ずしも同時に成立しなくてもいい時代です。
人生設計は分解され、再編集されている。
「選択的シングルマザー」という言葉は、その再編集のひとつの形なのかもしれません。
情報社会では“正解”が証明できない
今は、あらゆるデータが可視化されています。
日本では約3組に1組が離婚すると言われています。
ひとり親世帯の経済的困難も、養育費の未払い率も、簡単に検索できます。
一方で、結婚していても不安定な関係のなかで子どもが育つケースもあります。
表面上は「両親がいる家庭」でも、家庭内が緊張や対立に満ちていることもある。
情報は増えました。
けれど、正解は増えていません。
統計は確率を示しますが、「あなたの人生」を保証するものではありません。
人生は、再現実験ができないからです。
だからこそ、「合理性の証明」はできません。
子どもにとって本当に大切なもの
ここで立ち止まりたいのは、子どもの視点です。
発達心理学では、子どもにとって重要なのは「親が何人いるか」よりも、「安定した愛着関係があるかどうか」だと示されています。
提唱したのは、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィ です。
ここで言う「安定」とは、経済的な豊かさよりも、精神的な一貫性のことです。
・感情に応答してくれる
・拒絶と受容の振れ幅が激しすぎない
・予測可能な関わり方をしてくれる
子どもは、繰り返し応答してくれる大人の存在を通して、「世界は安全だ」「自分は守られている」という感覚を育てます。これを「安全基地」と呼びます。
大切なのは、人数ではありません。
さらに言えば、血縁も絶対条件ではありません。養子や里親、祖父母など、継続的にケアを担う存在とのあいだにも、安定した愛着は形成されます。
問われているのは、「血がつながっているかどうか」でも、「親が何人いるか」でもなく、「関係の質」です。
もちろん、経済的な基盤も現実的な要素です。実家の支援があるかどうか、社会的なサポートが受けられるかどうか。背景は人それぞれ違います。
だからこそ、一律の正解はありません。
合理性よりも大切な“納得感”
合理性は外側の物差しです。
でも人生の選択は、最後は内側の感覚に委ねられます。
その選択を思い浮かべたとき、身体はどう感じるでしょうか。
重くなるのか。
締めつけられるのか。
それとも、怖さがあっても少し軽くなるのか。
納得感は、思考だけでは生まれません。
身体全体が軽くなるような感覚。
自分に嘘がないと感じられる感覚。
それが、その人なりの答えなのかもしれません。
誰かにとっては、結婚してから出産するほうが安心。
誰かにとっては、結婚を待たずに母になるほうが自然。
感じ方は一人ひとり違います。
だから正解も一人ひとり違うのです。
まとめ:それって、ほんとう?
選択的シングルマザーは合理的かもしれない。
それって、ほんとう?
ほんとうかどうかは、外側にはありません。
その選択を想像したとき、あなたの身体はどう感じていますか。
軽くなるなら、進んでいい。
重いなら、まだ考えていい。
誰かの統計や、誰かの価値観ではなく、あなた自身の納得で選ぶこと。
それぞれの事情、それぞれの背景、それぞれの願いがあるからこそ、答えは一つではありません。
合理的かどうかよりも、納得できるかどうか。
その選択を思い浮かべたとき、心は少し軽くなるでしょうか。
怖さがあっても、それでも進みたいと思えるでしょうか。
正解はひとつではありません。
けれど、納得できる選択は、自分の中にしかありません。
