先日、とあるカップルの話を耳にしました。
結婚して10年。
奥さんは出産を機に体型が大きく変わり、夫婦の夜の営みも、自然と少なくなっていったそうです。
ある日、ご主人はふとこうつぶやきました。
「嫁が結婚当時から30kg太って、性欲がわかなくなったんです。
…だから、外でセックス相手を探しています」
それを聞いたとき、あなたはどう思いますか?
「最低だ」と感じた人もいるかもしれません。
でも私は、この言葉の奥にある“誰にも言えない苦しさ”に、ふと心が留まりました。
“太ったら愛されないの?”という女性の不安
パートナーに「太ったね」と言われた。
それだけで、心に深く傷がついてしまった経験のある女性は少なくないはずです。
たとえ冗談のつもりだったとしても、
「=太った私は、もう魅力がないってこと?」と脳が自動的に変換してしまう。
“見た目”と“愛される価値”が直結しているような感覚に、静かに苦しくなってしまうんです。
実際、出産や育児、仕事や加齢によって、女性の体は変化していきます。
それは“だらしない”のではなく、“人生を歩んできた証”なのに、
社会やメディアは、今でも「細くて若い=美しい」という基準を無意識に押し付けてくる。
だからこそ、パートナーからの視線の変化は、“見た目が変わったから”という理由以上に、
「ありのままの私を、もう受け入れてもらえないのかな」という深い不安を呼び起こします。
そしてそれは、「女として終わったのかもしれない」という、自己否定にもつながっていくことがあります。
“もう欲情できない”という男性の本音
「太ったから性欲がわかなくなった」
その言葉を目にしたとき、冷たい印象を受けるのは当然かもしれません。
でも、もう少しだけ想像を広げてみてほしいのです。
この男性の言葉の奥には、自分でも持て余している“変化”への戸惑いがあったのではないかと。
たとえば──
・結婚当初とは違うパートナーの姿に、正直に戸惑っている自分
・「それでも変わらず愛したい」と思いながら、身体が反応しないことへの自己嫌悪
・性欲がわかないこと自体を、“夫としての失格”のように感じている葛藤
そんなふうに、“冷めた”のではなく、“苦しんでいる”という男性も、実は多くいるのではないでしょうか。
さらに、性欲そのものが減退しているわけではない場合
「家庭=安らぎの場」になっていくなかで、
“性的な興奮”というスイッチが入りにくくなることもあります。
それは決して「妻が悪い」のではなく、
安心感と性的欲求が、同時に成立しにくい男性心理の特性によるもの。
「いつも一緒にいてくれる」「母親として頑張ってくれている」
そんなふうに“家族”としての愛情が深まるほど、
性的なスイッチが切り替わらなくなってしまう男性もいるのです。
本当は、
「ずっと愛してるよ」って言いたい。
でも、「欲情できない自分」が、どこか“愛していない証拠”のように感じてしまう。
そして、誰にも言えないまま、外の世界に答えを探しに行ってしまう。
誰も悪くない。でも、誰も満たされていない。
そんなすれ違いが、静かに広がってしまうこともあるのです。
“私に魅力がないのかな…”と責める前にできること
性欲の不一致が続くと、
「私のどこがいけないの?」「もう女として見てもらえないのかな」と、
自分を責めてしまう女性は少なくありません。
パートナーとの距離がある夜。
隣で寝ているのに、触れてもらえない。
「きっと私が太ったからだ」「私に魅力がなくなったからだ」
そうやって、静かに心がしぼんでいく。
でも、まず伝えたいのは、“あなたが悪いわけではない”ということ。
性的な興奮は、相手の見た目だけで生まれるものではありません。
ストレス、タイミング、体調、心理的な距離…さまざまな要素が影響します。
そしてもうひとつ。
男性が「性的な関係を持てない=相手を愛していない」と考えているとは限らない、ということも大切な視点です。
性欲の低下は、愛情の低下とはイコールではないのです。
そんなとき、女性側にできることは「自分を責めること」ではなく、自分とのつながりを取り戻すことかもしれません。
・私はどんなときに心地よさを感じる?
・パートナーと、どういうふうにつながりたいと思っている?
・私が本当に求めているのは、セックスそのもの?それとも、触れられる安心感?
自分の声に静かに耳を傾けることが、自分を責め続けることよりも、ずっと大きな力になります。
性の不一致は“育てる関係”のチャンスに変えられる
「性の不一致」と聞くと、どこか“修復が難しい問題”のように感じてしまうかもしれません。
でも実は、こうしたすれ違いこそが、二人の関係をもう一度、丁寧に見つめ直すきっかけになることもあります。
性の相性やリズムは、時間とともに変化していくもの。
「いつまでも情熱的でいたい」と願う気持ちは素敵だけれど、
それがうまくいかなくなったときに大切なのは、“元に戻すこと”ではなく、“これからを育てていく”こと。
たとえば、どちらかの性的欲求が高い、どちらかが低いとき。
その差を“問題”とするよりも、
「今の私たちは、どう心地よく過ごせるか?」という視点に変えてみる。
セックスの代わりに、
一緒にリラックスできるマッサージタイムをつくったり、
夜のルーティンに“触れ合いの時間”を加えてみたり。
“したい”と“したくない”のあいだにある、
「ふたりのペース」を探していくことができれば、
それはもう、二人にしかできない関係の形です。
また、最近では「セクシャルウェルネス」という言葉が広まりつつあります。
性の問題を“パートナーとのトラブル”として扱うのではなく、
心と体の健康の一部として、丁寧に向き合うという考え方です。
性に関する悩みは、ときに“恥ずかしいこと”とされがちだけれど、
誰かと話すことで、視点が変わり、心が軽くなることもあります。
セックスレスだから関係が終わりなのではなく、
話せないまま、気持ちが遠ざかっていくことの方が、
本当はずっと寂しいのかもしれません。
“話し合う”でも“我慢する”でもない、選べる道がある
パートナーと性のことでズレを感じたとき、
多くの人はまず「話し合い」をすすめられます。
または、「今は我慢のとき」「私さえ我慢すればうまくいく」と、自分を押し殺してしまう人も少なくありません。
でも、どちらか一方が我慢しつづける関係には、やがてひずみが生まれます。
そして“話し合い”という選択も、うまくいくとは限りません。
とくに、性に関する話題は、恥ずかしさやプライドが邪魔をして、うまく言葉にならないことも多いのです。
だからこそ、「話し合い」でも「我慢」でもない、
そんな“もうひとつの選択肢”を知っているだけで、心の余裕が生まれる。
“選び直す”ということ。
「セックスがないなら、終わり」ではなくて、
「私たちの心地いい“つながり方”を、もう一度選んでみよう」と考える。
それは、
夜の過ごし方を変えることかもしれない。
お互いの気持ちを手紙で伝えることかもしれない。
あるいは、一緒にプロに相談することかもしれない。
正解はないけれど、選べる自由があるというだけで、心は少し軽くなるものです。
そして何よりも大切なのは、
どんな選択をしたとしても、自分を否定しないこと。
求める気持ちがあっても、なくても、
それがあなたの“自然なあり方”なら、恥じる必要はない。
「このままじゃダメ」ではなく、「ここから、どうしたいか」を、やさしく見つめていけばいいのです。
正しさではなく、痛みに寄り添える関係を
「太ったパートナーに欲情できなくなった」
「求められなくなったら、もう愛されていない気がする」
そんな言葉に触れたとき、ついどちらかを責めたくなってしまう。
でも、少し立ち止まって見えてくるのは、
誰もが、自分の正しさを守ろうとして、誰かを傷つけてしまうことがあるという現実です。
どちらも間違っていない。
ただ、それぞれが不安で、傷ついていて、どうしていいか分からなかっただけ。
そんなふうに思えたとき、心に少しだけ余白が生まれる気がします。
愛や性は、ときに思うようにいかなくなるものです。
ずっと同じ熱量でいたいと願っても、体も心も、少しずつ変化していく。
それは誰のせいでもなく、自然なこと。
だからこそ、
「わかってほしかった気持ち」も、
「応えられなかった罪悪感」も、
どちらも大切にできる関係でいられたらいいなと思います。
そこには正解も、完璧な形も必要なくて、
ただ「わかろうとしてくれる姿勢」や「見捨てずにいてくれるまなざし」があるだけで、
人はもう一度、誰かを信じてみようと思えるから。
どちらかが悪い、と結論づける前に、
「この人はどんな痛みを抱えていたんだろう」と、想像する余白を残しておく。
そんなふうにして、正しさではなく、やさしさでつながる関係を、
ひとつずつ育てていけたらいいなと思います。